ダブルスポイラーってこうですか??東方スキーかつ車スキーは皆さんこう思ったのではないだろうか一応我が愛車にて表現。
宗谷の記録 NO,24 第2次観測隊の教訓は、南極海における氷状悪化への対応でした。 昭和基地への人員輸送、物資の搬送は天候に恵まれた第1次のように犬ぞりや雪上車では不安であり不可能であるということでした。 そこで第3次隊では、大型ヘリコプターを導入して遠距離、大量輸送態勢に 大転換を図りました。そのため「宗谷」は新たに飛行甲板、格納庫の増設工事を行い、二次の門型マストに続いて外景からも大きく変わることになりました。 こうして第3次南極観測は、昭和33年(1958)11月12日、松本船長以下92名、永田隊長以下37名の観測隊員、初の外国人オブザーバー1人を乗せて東京・日の出桟橋を出港しました。 大型ヘリコプターによる空輸作戦は見事に功を奏し、昭和34年1月14日から2月3日までの20日間に58便の輸送を行い、新たに村山雅美越冬隊長以下14名の第2次越冬隊員及び57トンの空輸に成功しました。 この第3次観測では、御存じのドラマがありました。 33年の第2次観測でやむなく置き去りになっていたカラフト犬15頭のうち「タロ」と「ジロ」が大きくなって生存していたのです。 「タロ」「ジロ」の生存理由は多説ありますが、ここでは紹介せずに南極の不思議・奇跡としてロマンを育んで下さい。 「タロ」「ジロ」の生還と観測体制への成功を果たした「宗谷」は、昭和34年4月13日に東京へ帰港して大歓迎を受け喜びの報告をしました。 「宗谷」の要目で、第2次と相異する主な所は次のとおりです。 総トン数:2,722.4トンで約68トン減、 排水トン数:4,818.1トンで約167トン増、 平均喫水:5.9mで10cm増、 全長:83.7mで40cm増、 搭載航空機:ベル47G2型2機、 シコルスキーS58型2機、 DHC-2型ビーバー1機 ※「若さ」海・船「今昔」 NO,11 12日 昭和31年(1956) 「宗谷」の南極観測船(巡視船PL107)とし ての改造工事着工式が日本鋼管浅野船渠(横浜)で行われた。 ※よもやま話 NO,11 1.とりあえず存続 2月18日のここで廃止の報に嘆いていた宇高連絡船が延命の動きです。 昨5日、全国のOB代表の集まりがあって、懇談の席で四国の委員から宇高フェリーの廃止発表があってから存続要望の声が殺到し、国道、四国の2社共に3月4日、四国運輸局へ提出していた廃止届け(3月26日廃止予定)を取り下げました。 厳しい経営環境は変わりませんが、地元の高松市、玉野市(宇野)は元より存続歓迎であり、特に大型重機の搬送は橋(鉄道・自動車)では無理でフェリーの存続が欠かせないという事情もあるようです。 何でも変更・廃止指向?の前原国交大臣も存続歓迎のようですから、交通運輸のバランス、整合性も図って貰いたいものです。 東西の日本で祝祭日を変える起案(奇案)も、ただ旅行や興業の振興を考えているだけで実生活無視の混乱を招くものにならないかと大いに危惧するところです。 2.季節の句 きさらぎの 蘆荻のしかも 満潮時 篠田悌二郎 干網を 濡らして逃げて 春時雨 上村占魚